フィギュアスケートの佐藤駿選手が12月7日、イタリアのトリノで開催されたジュニアグランプリ(GP)ファイナルで優勝しましたね!
おめでとうございます!
それも、ジュニア世界歴代最高合計点の255・11点で優勝なんて凄いですよね!
日本フィギュアスケート男子の小塚崇彦選手・羽生結弦選手・宇野昌磨選手に続く・日本人男子4人目の快挙を達成です!
日本フィギュア界に新星が現れました!
そこで今回は日本フィギュア界に新星、佐藤駿選手の経歴や育て上げてきたコーチ、プロフィールや始めたきっかけなどを見ていきましょう!
■佐藤駿選手の経歴は?
それではさっそく、佐藤駿選手の経歴について見てきましょう!
-佐藤駿選手ノービス時代-
【2015-16シーズン】
♦全日本ノービス選手権Aクラスにで優勝し3連覇達成
♦全日本ジュニア選手権に初出場し、ショートプログラム13位・フリースケーティング15位、トータル15位
【2016-17シーズン】
♦全日本ノービス選手権で優勝し4連覇達成
♦全日本ジュニア選手権で、ショートプログラム7位・フリースケーティング16位、トータル15位
【#全日本フィギュア 男子FS】#佐藤駿 FD127.75点、合計185.52点
詳細 ⇒ https://t.co/K5xrq7UYGo#フィギュアスケート #figureskate #スポーツナビ(写真:坂本清) pic.twitter.com/0eXf1wxxvI— スポーツナビ フィギュアスケート編集部 (@sn_figure) 2017年12月24日
-佐藤駿選手ジュニア時代-
【2017-18シーズン】
♦ジュニア1年目の全日本ジュニア選手権 ミスがあり得点を伸ばせず11位スタートしましたが、フリースケーティングで数々のジャンプをきめトータルで6位入賞。
♦ジュニア1年目で全日本選手権に推薦出場を果たし、フリースケーティングでは大きなミスもなく初出場で16位と大健闘。
♦ドイツのバイエルルンで開催された国際試合のバヴァリアンオープンでは、ショートプログラムで3回転アクセルを成功させ1位となる。フリースケーティングでは3位となりトータルで2位となり、メダルを獲得!
【2018-19シーズン】
♦ジュニア2年目の全日本ジュニア選手権では、ショートプログラム6位、フリースケーティングでは1位となりトータル2位でメダルを獲得!
♦オランダのハーグで開催された国際試合のチャレンジカップでは、ショートプログラムで1位、フリースケーティング1位となりトータルでも優勝!
【2019-20シーズン】
♦ジュニアグランプリシリーズ初戦のショートプログラムで1位、フリースケーティングで1位、トータルで初出場で優勝!
♦日本ジュニア選手権では、ショートプログラム3位、フリースケーティングで2位となり、トータル2位でメダルを獲得!
♦ジュニアグランプリシリーズファイナルでは、ショートプログラム3位、フリースケーティングではジュニア歴代1位となり優勝!
佐藤駿選手は、ノービス時代から活躍はされていましたが、ジュニア時代になってからますます実力をつけて素晴らしい滑りを見せてくれていますね!
次に気になる佐藤駿選手のプロフィールについて見ていきましょう!
■佐藤駿選手のプロフィールは?
名 前 : 佐藤 駿(さとう しゅん)
生年月日: 2004年2月6日
出生地 : 宮城県仙台市
身 長 : 160 cm
血液型 : O型
佐藤駿選手は、あの2011年に起きた東日本大震災の影響を受けてしまい、関東地区への転校を余儀無くされてしまいます。
その時、 佐藤駿選手はまだ小学校1年生でした。
自宅が半壊してしまい、1週間程車の中で家族と生活されていたそうです。
スケートを続けたい佐藤駿選手でしたが、震災の影響で練習場のアイスリンク仙台も営業休止となり練習ができなかったそうです。
ご両親は何とかして佐藤駿選手にスケートを続けるさせてあげる手段を考え、佐藤駿選手本人が東京の祖父母の家へ引っ越すという決断をされたそうです。
佐藤駿選手の転校後は、関東の川越スケートセンターが練習拠点と移します。
しかし関東の川越スケートセンターは、佐藤駿選手の東京にある祖父母のご自宅からバスと電車を乗り継ぎ片道約1時間かかる所にあります。
佐藤駿選手は、毎朝一日も休むことなく通い続けたそうです。
その後5か月後、アイスリンク仙台の営業が再開したため仙台市へ戻ることができました。
ちなみに、佐藤駿選手の小学校は「仙台市立森小学校」で、中学校は「仙台市立高森中学校」です。
次に、震災した後バスと電車を乗り継ぎ片道約1時間かかる所にある練習場へ毎朝一日も休むことなく通い続けた佐藤駿選手がスケートを始めたきっかけやそれを支えたご両親について見ていきましょう。
■佐藤駿選手のフィギュアスケートをはじめたきっかけやご両親は?
佐藤駿選手がフィギアスケートをはじめたきっかけは、5歳の誕生日にお父さんと遊びに行ったスケートだったそうです。
そこからオリンピック金メダリストの荒川静香選手と羽生結弦選手を輩出したアイスリンク仙台でスケートを始めます。
そんな矢先、佐藤駿選手が通っていたアイスリンク仙台も営業休止となってしまい関東へ転校されていましたね。
辛い思いにも負けずにスケートを続けノービス時代も素晴らしい成績を残されていましたね!
残念ながらご両親についての情報はありませんでした。
しかし、震災した時も佐藤駿選手がスケートを続けられる方法を考え、仙台に戻ってからも毎日送迎をされていたようです。
本当に素晴らしいご両親ですね!
ご両親のためにも佐藤駿選手にはもっと頑張っていただきたいですね!
■佐藤駿選手のコーチは?
【速報】
佐藤駿🇯🇵
FS177.86 総合255.11 暫定1位https://t.co/1AepPr6LmP pic.twitter.com/rCarvsk8Nt— フィギュアスケートbot (@figureskate_bot) 2019年12月7日
佐藤駿選手のコーチ : 日下匡力コーチ/浅野敬子コーチ
元コーチ : 浪岡秀コーチ
佐藤駿選手を「アイスリンク仙台」で5歳の時から指導をしていたのは、浪岡秀コーチでした。
そして震災時に5ヶ月間通っていいた「川越スケートセンター」で現在のコーチである日下匡力コーチと浅野敬子コーチと出合い指導していただいていたようです。
日下匡力コーチは、第68回・第69回全日本フィギュアスケート選手権に出場されている選手だったようですね!
もうひとりの浅野敬子コーチについて調べてみましたが、残念ながら情報がありませんでした。
■まとめ
日本フィギュア界に新星、佐藤駿選手の経歴や育て上げてきたコーチ、プロフィールや始めたきっかけや支えてきたご両親について調べてまいりましたがご参考になりましたでしょうか?
1番驚いたのは、あの2011年に起きた東日本大震災の影響を受けてしまった佐藤駿選手が練習場を求め東京の祖父母の家からバスと電車で片道1時間もかかる練習場へ毎朝一日も休むことなく通っていたという所です。
その決断をしたのも佐藤駿選手で、まだ小学1年生だったんです。
ジュニアグランプリ(GP)ファイナルでジュニア世界歴代最高合計点で優勝した佐藤駿選手の今後の活躍を心からお応援したいですね!。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました
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