東京オリンピックから新種目となったスケートボード。
そのスケードボードで金メダリストとなり注目されているのが堀米雄斗選手ですね!
堀米雄斗選手がスケードボードをはじめたきっかけは、父親の影響立ったと言います。
そこで今回は、堀米雄斗選手の気になる情報「堀米雄斗(スケボー)のコーチは父だった!父自身の後悔から指導!現在のコーチは誰?」と題しまして情報をまとめていきます。
堀米雄斗(スケボー)はコーチは父!
出身地:東京都
生年月日:1999年1月7日
年齢:22歳(2021年7月現在)
堀米雄斗選手は、東京都江東区出身。
6歳から本格的に滑り始めた堀米雄斗選手は、自宅から歩いて10分ほど大島小松川公園の一角に地元のスケーターが集うスポット通称「SSP」で練習をしていました。
父親のスケボー方針は自分の後悔から
堀米雄斗選手の原点は、熱心なスケーターだった父親の亮太さんだと言います。
父親の亮太さんは、堀米雄斗選手のスケボー方針は自分のスケボー人生の後悔から来ていたそうです。
「僕は基礎を無視してどんどん技を覚えていってしまった。運動神経が良かったばかりに乗れちゃったんです」。その「中途半端な乗り方」で成長が止まった苦い経験がある。息子に同じ轍(てつ)を踏ませたくなかった。
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/07/25/kiji/20210725s00107000800000c.html
父親の亮太さんが過去に経験した「基礎を無視」という辛い経験から、息子の堀米雄斗選手のスケーボーは、6歳から8歳くらいまではスポンサー目当てに大会には出場せずにとにかく練習の日々を送ったそうです。
そんなスケボーに熱心な父親の亮太さん。
実は、ご結婚する時にスケボーは辞めると奥さんと約束していたとか!
「結婚をするとき、妻にはスケボーはやめる、と約束したんだけど、どうしても我慢できなくて。長男の雄斗が生まれてからは、子守名目で連れ出しては自分で滑ってた」。
https://mainichi.jp/articles/20210718/hrc/00m/050/001000d
でもスケボーを辞めれなくて長男である堀米雄斗さんと練習を再開し、みるみると成長する米雄斗選手の指導へと変わっていきます。
こども時代のスケボーコーチエピソード
父親の亮太さんは、小学校に上がった堀米雄斗さんをU字形の斜面を滑る「バーチカル」にチャレンジさせたそうです。
その理由は「脚力が弱い子ども時代にトリック(技)の練習をするよりも、スピードや高さに慣れることの方が上達につながる」との考えがあったからだそうです。
父親でありコーチでもある父親の亮太さんは、年齢にあったスタイルを見極めて指導させていただんですね!
自宅でのビデオ鑑賞も大切にされており、「これがエリック・コストン。
あれがジーノ・イアヌッチ」など父親の亮太さんが好きだった古いスケーターのビデオを繰り返し見せていたそうです。
その理由は、プロへの憧れを芽生えさせながら、妙技を目に焼き付けさせたと言います。
中学時代に父はコーチを引退
中学生となった堀米雄斗選手。
今まで父親である亮太さんがコーチとしてスケボーを教えてきましたが、この時期に身を引いていらっしゃいます。
堀米雄斗さが思春期を迎えたころには教えられることがなくなっていったそうです。
そして何よりも「同年代の仲間たちと楽しそうに滑っているのを見て、もう、大丈夫だな、と思った」と言います。
堀米雄斗(スケボー)の現在のコーチは誰?
父親の亮太さんがコーチを引退してから堀米雄斗選手を指導をしたのが早川大輔コーチです。
堀米雄斗選手は『HIBRID Skateboards』に所属。
早川大輔コーチ元でプロを目指します。
この頃から堀米雄斗選手は「アメリカへ行きたい」との思いが強かったとか!
早川大輔コーチは「1日も早くアメリカへ行け」という気持ちでずっと堀米雄斗選手を指導していたそうです。
堀米雄斗選手が中学時代に出場した国際大会やスケードボード留学も全て早川大輔コーチがサポートをしてきた。
そして高校卒業後に堀米雄斗選手はアメリカへ渡りました。
まとめ
今回は、堀米雄斗選手の気になる情報「堀米雄斗(スケボー)のコーチは父だった!父自身の後悔から指導!現在のコーチは誰?」と題しまして情報をまとめてきました。
・堀米雄斗選手は、6歳からスケーターの父親がコーチだった。
・堀米雄斗選手の父親は、自身の後悔からスケボー方針を決め練習をしていた。
・堀米雄斗選手は、中学生で父親コーチは引退。
・堀米雄斗選手の現在のコーチは早川大輔コーチ
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