今、野球界で注目の選手と言えば、ロッテの佐々木朗希選手ですよね!
高校生の日本歴代最速となる163km/hを計測した日本野球界の期待の選手!
そんな佐々木朗希選手はどんな家庭で育ったのか気になりませんか?
そこで今回は、佐々木朗希選手の両親、父親と母親がどんな方なのか、そして兄と弟についても気になったので一緒に見ていきましょう!
佐々木朗希選手の家族構成
佐々木朗希一家。お母さん大変やったろうなあ。 pic.twitter.com/hKzTRkd2nu
— 知理多賀男 (@takumisan3taku3) August 31, 2019
佐々木朗希選手は2001年11月3日生まれの19歳(2020.2現在)です。
岩手県陸前高田市で生まれた佐々木朗希選手は、2010年陸前高田市立高田小学校3年生の時に野球を始められたそうです!
さっそく家族構成を見ていきましょう!
● 父 親 : 功太さん
● 母 親 : 陽子さん
● 長 男 : 琉希さん(兄)
● 次 男 : 朗希さん
● 三 男 : 怜希さん(弟)
佐々木さん一家は5人家族でした。
しかし、現在のご家族は4人。
実は父親の功太さんは、亡くなられていました。
ちなみに佐々木家の三人の息子達は、みなさん末尾に”希”が付くんですね!
お名前のエピソードは最後に紹介しますね!
佐々木朗希選手の父親の辛い過去
2011年3月11日に起きた東日本大震。
佐々木朗希選手のご家族もこの地区で震災の犠牲者だったのです。
[2019年7月26日の日刊スポーツに取材で佐々木朗希選手の母親がその日のことを語っていらっしゃいました。
佐々木朗希選手のお母様は、仕事で隣町の大船渡でお仕事をされていたそうです。
そして、東日本大震災が起きてしまいます。
浸水で立ち往生を余儀なくされ、佐々木朗希選手のお母様は家族と会えない辛い夜を過ごされたそうです。
翌朝5時に車で家族の居るはずの陸前高田へ出発。
やっとの思いで高台の施設に避難していた3人の息子達と再会できたそうです。
しかし父親の功太さんとは会えず、佐々木朗希選手の父親は37歳という若さでお亡くなりになったそうです。
残念ながら佐々木朗希選手の祖母もお亡くなりになり、祖父は未だ見つかっていないそうです。
佐々木朗希選手は私たちが想像もできないくらいの辛い過去をお持ちだったのです。
佐々木朗希選手の父親はどんな方だったのでしょうか?
佐々木朗希選手の父親はどんな人だった?
佐々木朗希選手の父親は、功太さん。
どんな方だったのか母親の陽子さんさんは取材に答えていらっしゃいました。
日刊スポーツの記事(2019年7月26日)の記事によると、父親の功太さんは、いつもニコニコと朗らかな方。
そして3人の息子たちを愛し、そして愛されてりた方だったようです。
しかし、父親の功太さんは長男の琉希さんにはしつけの面で厳しかったとそうですよ!
でも、次男の朗希さんと三男の怜希さんにはすごく優しかった。
そして、休日にはこども達の野球の練習に付き合っていたそうですよ!
父親の功太さんが昔、野球をやってたのかの情報はありませんでしたが、子供達との練習はきっと楽しかったのではないでしょうか!
佐々木朗希選手の母親はどんな人?
次に母親について見ていきましょう!
● 名 前 : 佐々木陽子
● 年 齢 : 47歳(2020年時点)
佐々木朗希選手の母親の現在のお仕事の情報はありませんでした。
佐々木朗希選手が9歳の頃に会社員をされていたようです。
東日本大震でご主人を亡くしてからは、女の手一人で3人のこども達を育てるために懸命に働いてこられたかと思います。
「子どもたちが野球を頑張る姿に励まされた」とも語られていいらっしゃいました。
こどもが頑張っている姿って本当に励まされますよね!
佐々木朗希選手の兄弟も野球選手
佐々木朗希選手は、お兄さんの琉希さんと、弟の怜希さんの3人兄弟です。
それでは、ご兄弟についても見ていきましょう!
兄の琉希は父親代わりだった!
お兄さんの琉希さんは、佐々木朗希選手より3歳年上ですので、現在大学4年生でしょうか?
この春からは就職?かもしれませんね!
お兄さんの琉希さんも小学3年生から高校まで野球をされおり、佐々木朗希選手と同じ大船渡高校のOB!
それも4番を任される程の腕前だったそうです!
お兄さんは少し泣けるエピソードがあったんです。
「琉希本人には聞いたことありませんが、父が亡くなってしまったので、その立場を琉希がやろうとしていたのかもしれません。」
と母親の陽子さんは取材に対してお兄さんの琉希さんについて語られていました。
佐々木朗希選手は「大の負けず嫌い」を公言していいます。
そんな「大の負けず嫌い」の佐々木朗希選手を育て上げたのは兄の琉希さんだと言います。
母親の陽子さんは「琉希がすごく弟の朗希に厳しく接していました。その反動で、朗希は常に兄を超えようとしていました。野球面でも生活面でも、朗希が兄から褒められたことを見たことがないですね。見ててかわいそうなぐらい朗希は、兄から言われてました。」とも語っていらっしゃいました。
父親の功太さんは長男の琉希さんにはしつけの面で厳しかったそうで、そんな父親の姿をみて長男の琉希さんは佐々木朗希選手に接していたのかもしれませんね!
佐々木朗希選手もお兄さんの琉希さんに感謝されているに違いないですね!
弟の怜希さんも野球選手!
#楽天イーグルス杯 で岩手の #猪川野球クラブ が優勝です。決勝で青森の #十和田スリースターズ を4―0で破りました。先制のホームを踏み、ショートの守備でも再三、好プレーをみせた佐々木怜希内野手は、大船渡の147㌔右腕佐々木朗希投手の弟です。#学童野球 #rakuteneagles pic.twitter.com/KMlF9IE6YO
— 日刊スポーツ新聞社東北取材班 (@nikkan_tohoku) November 26, 2017
2017年の写真メガネの子が弟の怜希さんです。
佐々木朗希選手より4歳年下?ではないかと言われています。
4歳年下となると、この春から高校生?ではないでしょうか?
もしかしたら、お兄さん達と同じ大船渡高校に進学するのかもしれませんね!
弟の怜希さんも佐々木朗希選手が所属していた猪川野球クラブに小学生から所属していたそうです。
そして弟の怜希さんは、小学生時代はショートを守っており全国大会出場時の中心メンバーとも言われていたそうです!
兄弟でプロ野球選手!となったら素敵ですね!
まとめ
佐々木朗希選手の両親、父親と母親がどんな方なのか、そして兄と弟について一緒に見てまいりましたがご参考になりましたでしょうか?
佐々木朗希選手のご家族は、父親・母親・長男・次男・三男の5人家族でした。
しかし2011年3月11日に起きた東日本大震で父親を亡くしてしまい、母親の陽子さんは女手一つで懸命にこども達を育ててこられました。
兄の琉希さんは父親代わりとして佐々木朗希選手に厳しく接し「大の負けず嫌い」の佐々木朗希選手を育て上げたました。
弟の弟の怜希さんも小学生時代はショートを守り全国大会出場時の中心メンバーとして活躍されていたそうです。
母親の陽子さんも、兄の琉希さんも、弟怜希さんも、みんな佐々木朗希選手の活躍を嬉しく思っているのでしょうね!
今後の佐々木朗希選手の活躍がとても楽しみですね!
それでは最後までお付き合いありがとうございました。
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